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稲作専業農家の素敵な日々

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水回りしながら思うこと

 「羽鳥ダム」初の取水停止 2日から、出穂期の水確保へ(福島民友)

 福島県の羽鳥ダムが水不足のため農業用水の取水を停止するとのこと。出穂期の用水確保のためとはいえ、水は皆が一斉に使えるものではないから、下流などやはり水が回ってこない地域もあるのではないだろうか。この時期に10日も田んぼが乾けば水を入れてもすぐに縦浸透してしまうから、できるだけ沢山の水を田んぼに入れるために水の使用時間も多くなる。そうなるとたぶん水を使えない田んぼもあるだろう。明日は我が身だとしたら、僕はどうにかこうにか我田引水するのだろうか。いやだなぁ。かと言って真夏に水を切らせば収量減と品質低下のダブルパンチは免れないし、そうなると秋の市場での競争力も下がるかもしれない。いつかは来たるべき不作の年にTPPが成立していたら、いやいやこれは本当に廃業に追い込まれるのではなかろうか。

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 【人生は崩壊の過程である】というようなどうでもよいことをフィツジェラルドは書いたか言ったかと思うが、考えてみれば積み重ねてきたものが崩れていくというのはとても自然の流れだろう。僕は積み重なる前に崩してしまうので常に傷は浅いのだが(笑)、こうして辺りを見回していると、先祖代々受け継がれてきた農地があちらこちらで少しずつ荒れていくのを感じることができる。10年後、20年後、非効率的な農地は確実に荒れ果てている。確かにこれからの農業には可能性としての希望的側面もあるだろう。しかし、そこには間違いなく絶望的な側面もあるのだと思う。復興支援のために福島の農産物が選ばれるようになった例もあれば、避けられるようになった例もあるのだから。

 

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三菱農機の展示会に行くこと

 毎年恒例の三菱農機展示会に行ってきた。マイクロバス乗り合いで行くので、当然車内でビールを飲む。帰りは車内でうたた寝。クーラーの効いた車で寝るのは最高に気持ちが良かった。(笑)

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 うーん、キャビンでも良いような気がしてきた。CDもラジオも付いているということは、もはや異音も何も聞こえないだろう。たぶん降りるのも面倒くさくなる。こうなってくると隅刈り・手こぎも面倒になってくる。だからというわけではないけれど、田んぼの形のせいで機械刈りが手間取る部分は植えなきゃ良い。降りて鎌を使うぐらいなら踏んでしまえば良い。別にそのまま数株放置していたって何の問題もないんです。機械は人に構わず進化しているというのに、しかし人はその隙間に無理やりでも弥生式労働をしようとするわけです。

 なぜか。それは戦中、戦後に育った方たちがたとえ1株でも無駄にできると思いますか?僕は無駄にできますけど(笑)、もしも食糧難になったら人間はその1株を求めて争うことだってあり得るのです。だからこそ、雑な稲刈り作業をすると高齢化激しいこの世界では超悪印象を周りに与えます。もちろんコメ1粒を大切にする精神は日本人としてとても大事です。大事ですが、それとこれと大規模効率化作業は別な話。この相容れない感覚がもどかしい。

 今のところこの辺を本気で考えるとやってられません。ひどく憂鬱な気持ちになります。なので、細かいことは気にしない、気にしない。

 いや、しかし、本気で食糧難になったらどうしよう。それなら僕は子供に食べさせるためにコメ粒拾い集めて歩きます。人は食べなければ生きれない。作らなければ食べれない。悔しいけれど、それだけは確かなことです。

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♪ Van Morrison - Astral Weeks (1968)
 ヴァン・モリソンの『アストラル・ウィークス』を聴く。この涼しげな幽玄さが夏の夜にピッタリで、もう完全に非生産的な気分になってくる。

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 遠くまで出かけたついでに娘におもちゃのバイオリンのお土産を買う。1500円くらいなのにこれが驚異の完成度なのです(笑)。バッハのメヌエット等の内蔵曲を弾くのですが、弦はどれを擦っても自動的に内蔵曲の音程が鳴ります。なので、曲のリズムに合わせて弦を叩くなり擦るなりすれば曲になるという作り。内蔵スピーカーの音も良くてちょっと感動です。

溝切りすること

 天気が良いので田面が良く乾く。溝切りする必要ないのではなかろうか。と思いつつも、田んぼの中を歩いて学ぶことがあり、それを若い今のうちに感覚として身に着けるために田に入る。体力的には無駄足ですけど(笑)。

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 弥生式土水路。水は入れたいときに入らず、入れたくない時に入ってくる。水流で畦畔は浸食され、放っておくと草でボーボー。しかし、メダカがいる。タニシもいる。他にも生き物がたくさんいる。僕は田んぼってそういうものだと思ってたんですけど、今時は蛇口ひねれば水が出るのが最新標準ですし、排水口もパッキンをかませた塩ビ管の上下だけで調節できます。手に泥を付けずとも5秒で水をかけてその場を去れますし、水を落とすのは塩ビ管を足で踏めば1秒でその場を去れます。
 このような土水路だと川上や川下で他に水を使っている人がいないか確認したり、自分が堰き止めすることで他の田んぼにオーバーフローしないか心配したり、はてさて排水側の畦畔にモグラ穴は開いてないだろうかと見に行ったりで、とても手間がかかります。それで畦畔を歩きながら田面を見ると思った以上に雑草が生えていたりして、見なきゃよかったと思ったり(笑)、うん、何とも田んぼらしいのです。1ヘクタール区画の田んぼではまず畦畔を歩くなんてことはないですから。

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 ♪ 渡辺美里 - Teenage Walk (PV)
 渡辺美里のTeenage Walkを聴く。何回聴いても最初の歌い出しで卒倒しそう(笑)。もう懐古趣味以外の何物でもないのですが、携帯のない思春期を過ごせたことを幸せに思いますよホントに。意中の女子とのやりとりにリアル手紙を使うなんて今時あるのだろうか・・・。電話にお父さん出たらどうしよう。
 

溝切りすることと雑記

 朝から快晴。用水が流れない日なので溝切りに専念する。

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 溝切りは疲れるので最小限しか切らない作戦。この田んぼは勝手に用水が畦畔を突き破ってくるので(笑)、あぜ際を切って左奥の排水につなぐだけ。この最小限のことをやっておかないと秋に乾かない。コンバインが入れないという実績ありです。手刈りはキツイぜ。他にもあちこち土水路エリアの溝切りをする。疲れたので17時前には帰宅して、さっさと子供2人を風呂に入れる。

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 日本海側の夕方は長い。夜の8時とは思えぬ明るさ。

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 ハービー・ハンコック/スピーク・ライク・ア・チャイルド(1968年)
 ♪ Herbie Hancock - Goodbye to Childhood

 夜のこの時間のBGMに毎日悩んでしまう。CDラックを眺めただけで聴いた気分になってしまうこともしばしば。田んぼと子供の相手で日々明け暮れていると本当に音楽なんてどうでもよくなってしまう。聴く暇がないということは、結局は暇だから音楽を聴くということか・・・。というわけで、『子供』のイメージで選曲。

 しかし田舎の夜は静かだ。喧騒はもはや記憶の中にしかない。夜の街なんて今後も数えられるほどしか歩かないのだろう。為すべきことなど何も無いような気分だ。だからこそ、目の前に為すべきことがあるというのは幸せなことだ。おそらく、本質などどこにもないのではないか。辞任するらしいワタミの会長がおっしゃることも、TPPの是非も、反原発思想も僕にはよくわからないのだ。誰かが世界を回せば誰かは世界に振り回され、しかしながら実のところ共に世界を回している。

 今日、娘が「風って何なの」と聞くから、僕は「地球が回ってるってことだ」と教えてみた。すると娘は「どうして地球は回るの」と聞くから、僕は「世界中の国に同じように昼と夜が来るようにだ」と教えてみた。僕の子供たちはどのような自意識で世界を解釈し構築していくのだろう。(育児方針などどうでもよい。)今こうしてその始まりを見つめているわけだが、そこにはどんな音楽より、詩より、文学よりも深いものが流れているような気がする。おそらく芸術家たちはそれを汲み取って変換する才に秀でているのだと思うが、僕は毎日多くのものを捕まえられずにただ見過ごし忘れていく。最近は曜日すらもわからない(笑)。まずいな、色々と。

 
 

 

ケイ酸カリを振ること

 朝からどんより。梅雨どきの天気予報は難しいようで、夜からの雨予報に反して午前中からポツポツと雨が降り始める。

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 ここ最近父が振っていたケイ酸振りを交代する。久々に20キロの肥料を入れて背負ってみる。意外と軽い。こんなに軽かったかしら。初めて背負ったときは拷問級の辛さだったのですが、うん、まぁ、慣れると何でもないという。雨レーダーを見ると午後は雨が強まるようなので、小雨のうちに予定分を振ってしまう。やはり15時くらいから強めに降り出してきたので、あちこち水を止めて帰宅。時間が空いたのでいつもは奥さまに頼んでいる煙草を自分で買いに行く。

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 しばらくこればっかり。煙草もすっかり悪者ですね。何でもそうだけど、是か非かの二極論争は難しい。

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 ついでにブックオフで100円アルバムを5枚買う。KIX-SとTWO-MIXと米村裕美とクランベリーズを2枚。もはや女性ボーカルであれば何でもアリなのですが、もしかしたらまだどこかに好みの【声】がいるかもしれないという欲求を抑えられない(笑)。昔懐かしのKIX-Sはなかなかいい。女性2人が革ジャンを着てどうこうなんて、もう2度とあり得なくて、このあり得ない感がまた良い。旧時代的な色気が良いです。個人的には同じビーイング系でもマニッシュの方が好みですけど、より最高なのはパメラですね。パメラは良い。

 女性ボーカルは低い声が好きなので、不動の1位はフェイレイ。これはもう鉄板。最強です。が、今1位の座を奪おうとしているのがガーネットクロウの中村由利。そして別枠でソプラノ系の遊佐未森。遊佐未森の初期アルバムは作詞・作曲・編曲と本当に手が込んでいて、ポップスを聴いてこんなに感動したことがあっただろうかと思うほど感動した。

 ♪ Fayray - baby if,
 ♪ GARNET CROW - Marionette Fantasia
 ♪ 遊佐未森 - 夢をみた

 むむむ、改めて聴いてみるとやはりフェイレイは素晴らしい。この歌の言葉から伝わる3次元の生々しい質感っていうのが最近はなかなかないのではないか。まるでスタンダード・ジャズのようなラブソング。それに比べるとガーネットクロウと遊佐未森は2次元っぽい感覚が否めない。

 まぁ、気分が良いときは何でも良いんです。本当に辛いときは僕はこれです(笑)。

 ♪ 木村弓 - いつも何度でも


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける


さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される


はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから



 

溝切りと色々

 ちょっと最近出かけてばかりなので田んぼのコンディションが把握しきれていない。

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 雨が降らないので田んぼがいい具合に乾く。

東京に行ったこと

 昨日、今日と東京へ。

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 『おかあさんといっしょ』のスタジオ収録に当選したのでNHKまで行ってきた。ミラクルです。スタジオには付き添い保護者1人しか入れないので、僕はスタジオパークの観覧窓とモニターで見学。たくみおねえさんを生で見るという願いは叶わず。残念!(笑)

 
 

新潟市まで飲みに出ることと色々

 昨夜ビールをしこたま飲んだので昨日の作業は何をしたかと思い出せない(笑)。

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 というわけで、昨夜は念願だった場所へスキー場のO氏と共に行ってきました。
 Angel Generation 公式HPはコチラ
 アイドル育成居酒屋というコンセプトが面白いです。店員がアイドル、アイドルが店員。結局、19:00~、20:30~、22:00~の3ステージ全部見てしまった。むかしむかしに訳あってアイドルたくさん見てきましたけど(笑)、これはレベル高くて驚き。初中期AKB路線そのまんまの楽曲が良くできてて楽しい。

 すっかりお腹いっぱいになって店を出る。それから古町にあるROCK SUNというバーに行く。ビールがたくさんありましたが、アイドルの方でプレミアムモルツをとてもたくさんおかわりしてしまったので、こちらでは3種類しか飲めなくて少し残念。どれもとてもおいしかったので、まぁ今度はこのようなビール専門店でひたすらビールだけを飲んでみたいと思う。そう思いつつもアイドルの方に行ってしまうんでしょうね。

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 お昼前に帰ってきたので、午後から色々とたまっていた作業をこなす。こなしたのはいいが、昔ながらの原始的作業の連続だったので体がとても重い。動力噴霧器を背負って田んぼの中をウロウロし、動力散布機を背負って田んぼの中をウロウロし、溝切り機を持って田んぼの中をウロウロし・・・、もはやこのような作業方法では体が持たないので何とか考えないとと思いながら、うん、まぁとりあえず今日もビールがうまいということで日が暮れる。
 
 色々と考えてはみるのだが、僕は熱意と情熱に欠けるところがあるので、あまりムキになると必ず精神的に反動がくることを自分でもよく知っている。それで何でも長続きしなかったのだけど、田んぼが今までで一番長く続いているというのだから不思議だ。そもそも、『国破れて山河あり』とか『久しくとどまりたるためしなし』というような言葉が好きなくらいなので、うーん、24時間死ぬまでは働きたくないなぁ。

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 6月はアジサイのために。まるで泡のように咲き乱れているのを眺めていると、平行宇宙というものが本当にあるような気分になってくる。まぁ、本当は何があって、本当は何がないのかなんて僕らにはわからないのでしょうけど。ただ、人類の偉大な功績のおかげで、ここが宇宙のどこかであるということを僕たちはよく知っている。それを知るまでに進化した生命というものにただただ畏怖の念を覚えます。命は大切にしなければならないし、人には優しくしなければならない。しかし、自分にはやはり厳しくしなければならない。最近、成長の停滞を感じる。

 明日は朝から東京に出かけるので早く寝なければ。


 
 



落水して回ること

 2日も休んだので信じられないぐらい体が重い。土日休みのあとの月曜日みたいな気分を久々に体感してしまう。

 土水路エリアの田んぼをまとめて落水して回る。午前中は排水して回り、午後からは排水口を閉じて回る。土水路は入れる水と出す水の水路が同じということもあるので、開けたら閉めておかないとせっかく落水した田んぼに水が入ってしまう。スコップやら肥料袋やら土嚢をいじってばかりで手はドロドロ、もう写真を撮る気にもなれない(笑)。それにしても、今年は田植え後しばらく好天だったので若干過剰生育気味なのだろうか。なんとなく分けつさせ過ぎてしまっているような気がしないでもない。

 
 
 村上春樹の『色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年』は物足りない。僕はこの物語からは「世界」も「社会」も「関係」も感じることができなかったし、そもそもリストのピアノ曲を誰の演奏で聴くかなんてことは物語としてどうでもよいような気がする・・・。

 結局、【大概にして過去の歪が現在に支障をきたしているのだから、過去に戻り解決しよう】という程度の話なのだろうか。僕は「世界」から踏み外したシロという存在が、『ノルウェイの森』の直子と同じように救いようのない描かれ方をしているのがどうにも好きになれない。(そしてクロは緑みたいだ!)なにより、世界から踏み外した者は死んでしまうというお約束もどうなのか。

 影響力のある人がそこに何か感染力のある感傷でもって自殺のようなものを描くというのはちょっと残念だと思う。

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 社会学者の宮台真司に心酔した少年の自殺(事実)を追った本なのだが、これはどの角度から読んでも悲しい。悲しいし、虚しい。表現者の負の影響の極致がこれであるなら、何というか、ただただ残念。
 

雨降り休日と娘の予防接種後の高熱

 朝から雨が降る。午前中は子供たちの予防接種を受けに行く。イオンのフードコートでお昼を食べる。

 夜、眠ったばかりの娘の体が急に熱くなり、熱を測ると39℃手前。額に冷えピタを貼り、手足などを保冷剤で冷やすと少し楽そうになったが、もう一度熱を測ると39℃越え。朝方には38℃以下まで下がり、起きた時にはすっかり元気になる。日本脳炎の予防接種の直後だったので、久しぶりに少し心配な気持ちになりました。

雨降り休日と嵐が丘を観たこと

 朝から雨が降る。午前中は色々と片づけをして、午後はGARNET CROWのライブDVDを大音量で観る。その後、娘を連れてツタヤへ行く。娘は『ノンタン』のDVDを借りたので、まぁ僕も久々に何か借りようと迷いつつ『嵐が丘』を借りる。

嵐が丘
 可愛いバブバブ息子が寝静まってから観た。高校生の時に古本で読んだ感触が一気に思い出される。

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 これが高校生の時に買った古本。今でも大事にとってあるのだが、この本には前の持ち主が書いた人物相関図のメモが挟まっていて、そこには僕が生まれる前の日付が書かれている。高校の図書室でニーチェを読んだとき、そこに挟まっている貸し出しカードの日付も僕が生まれるより前のものだった。こういった古典は忘れ去られてしまうのだろうか。僕はもしかしたら自分の子供たちが読むかもしれないと思ってシェイクスピアやヘッセの文庫を処分せずに新潟まで持ってきている。久々に『嵐が丘』に触れたら、今の言葉でいう中二病のような自分の青春を懐かしく思い出した。今でも中三くらいだと思っているのだが(笑)。

 しかし、『嵐が丘』と聞くと、頭の中はどうにもこうにもケイト・ブッシュの『嵐が丘』ばかり鳴り響いてしまう。素晴らしいYOUTUBE動画を見つけたので貼っておきます。

 ケイトブッシュ - "嵐が丘"

 それと、今日のニュースで若者の自殺が問題として取り上げられていた。

 自殺白書:15年ぶり3万人下回るも「深刻な状況」(毎日新聞)

 僕はいつからかは忘れてしまいましたが、人はとりあえずでも生きていれば良いと思うことにしています。それで最近思うのですが、少しでも善く生きようと思うと、自分のために何かを得ようとする人生なんて観念的にも存在しないのではないかと。おそらく、人は与えることしかできないのではないかと。極端な話ですが、僕は自分自身の所有として子供を得たのではなく、子供に命を与えただけなのだと。もう言葉遊びにしかならなくなるのですが、得るものもなく、失うものもなく、ただ与え合うものだけで成り立っているのではないかと。

 僕が得ているように見えるものは、すべて誰かが与えてくれたものなのではないか。娘や息子もまた僕に何かを与えてくれているのではないか。それを「得た」と呼ぶのはいささか傲慢すぎる気がするので、まぁ便宜上「与えてもらう」と呼んでいるだけかもしれませんが・・・。いずれにせよ、当たり前のことなんですけどね。自殺の是非については毎日考えていますが、なかなか答えが出る問題ではありません。悲しいことです。

虹を見たこと、村上春樹を読んだこと

 昨日サボってしまったので見回りを強化する。美術館は雨の日に行くべきだと思った。中干しを始めていない田んぼはどこも水を入れる必要があり、中干しの最中の田んぼは中に入って乾き具合を確認する。合間に使っていない畑をトラクターで耕し、周りの草を刈る。

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 雲から雲へと架かる虹を見た。

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 昨夜と今夜で読み切った。意外にもといっては世界の大作家に失礼なのかもしれないけど、今回は意外にも面白かった。つくるが旧友たちに会う場面はどれも良く、特にフィンランドのクロに会う場面が良かった。ただの物語として良かった。物語の他に思想的表現も含まれているとするなら、それは何だかイマイチ。
 それにしても登場人物たちの自己考察力が優れ過ぎではないか?(笑)

美術館とドライブと

 奥さまが子供たちを連れて外出するというので、これはチャンスとばかりに単独行動させてもらう。腰も重いので田んぼに行く気力ございません。

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 というわけでミュシャ展に行ってきました。日曜なのでとても賑わっていました。若いカップルや家族連れも大勢いました。

 ミュシャ展 公式HP

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 ≪百合の聖母≫
 
 長辺2メートル以上の大きな絵だったのですが、まさに息を飲む美しさ。泥だらけになって辛いときはこの絵のことを思い出そう。

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 せっかく新潟まで来たのに歩き回る余力がありません(笑)。新発田に戻って赤谷方面へドライブ。

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 加治川治水ダムまで行ってしまう。田んぼの用水にもなっている水ですが、まだ沢山あるようで一安心。

 

中途半端な雨と買い物に出かけること

 未明に強い雨が降るも、朝には止んでいた。午前中のうちから家族で新潟市に買い物に出かける。帰宅するともう15時で、お腹を空かせるために田んぼに出る。

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 また雨が降ってきた。乾きすぎてしまった田んぼに水を入れてから溝切りをする。他の田んぼに移動し溝切りをしていたら、田んぼの真ん中で溝切り機が壊れる。一度家に戻り、軽く洗ってから農機具屋に持っていくと、父もやってきた。自走式草刈機のボルトが外れてどこかにいってしまったとのこと。雨も強く降ってきたのであがることにする。それにしても腰が重い。

落水したり、入水したり、溝を切ったり

 3日間不在の隙に田んぼを乾かそうと思ったら乾きすぎてしまい、全体重をかけても溝切り機を押せない田んぼがチラホラ。もう一度水を入れれば良いのですが、もうこのまま溝を切らずに乾かしてしまいたい誘惑に駆られる。ただ、もしかしたらの秋の長雨を思うと不安になってしまうわけです。

 理想は幼穂形成までに間断灌水で土を締めて、来たるべき猛暑にどっぷり湛水なのですが、これも考えようによっては我田引水なのではないかと最近思う。自分の田んぼの品質保持のために水を大量に使うというのはどうなのか。それによって一時的に水を使えない誰かがいるということは本当は好ましくない。僕は大区画の田んぼは水の夜がけをしますが、これもやはり皆が夜がけすれば、水が出ない田んぼが出てくるかもしれない。

 このところの少雨で農業用水が使えない地域があるのでそんなことを思うわけですが、何というか、水というのは本当にありがたい。人間はこのままありとあらゆる資源を使い果たしてしまうのだろうかと、要らぬことまで考えてしまう(笑)。物事の有限性というものに対する実感などないのですが、恵まれているんですね。色々と。

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 コメになるまであと約3か月。

娘を連れて帰省すること

 毎年恒例の田植え後の一休み帰省。今年は息子がまだ2か月バブバブなので、娘だけを連れて帰省してきました。娘と2人きりでお泊りに出かけるというのは初めてなのですが、まぁ何とかなりました(笑)。

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 棚倉城跡のお堀。子供の頃の遊び場を自分の子供と歩くというのは感慨深いものがある。たぶん遠くに住んでいるからだろう。誰にも等しく時が過ぎゆくことというか、もうどうにもできない自然の摂理というか、地球がグルグル回るだけというか、何というか、ただ空間に佇むだけしかできないのだなと思う。何もかもが。この空間を体感できることが命という奇跡なのではないかと僕は思い続けてるのだが・・・。

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 実家の庭から夕暮れ時の東の空を眺める。山間部ならではの雲の近さというのがあるので、空を近くに感じることができる。

 実家は少し肌寒いくらいだったのに、新潟に帰ってきたら35℃の猛暑。日本海側のフェーン現象は本当に凄まじい・・・。

草刈りをして溝を切り、無伴奏チェロ組曲を聴くこと

 手が泥だらけになってばかりで写真を撮りそびれる。明日から3日ばかり娘を連れて実家へ帰省するので、その間に田んぼが乾くようにとあちこち落水する。明日以降、他に落水したいところなどを父にお願いする。

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 久々にバッハの無伴奏チェロ組曲を聴いてみる。キリスト教で呼ぶところの神という存在が未だに信仰されているということが僕には理解しがたいのだけど、キリスト教なくしてヨーロッパの煌びやかな芸術はありえなかったのだろうから、そういう意味では信仰が生み出す想像力の凄まじさに感銘を受ける。

 

 

草刈りと溝切りと

 北陸の梅雨(全国的空梅雨ですが)入りは台風3号の動向次第でしょうか。

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 今のところ北の大気が優勢なので風が涼しいけれど、明日以降は台風の接近に伴って南からの暖湿気が持ち上げられるのでムシムシしそう。熱中症注意ですな。

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 出穂後の稲を食べるカメムシの生息場所なるというのでクローバーは嫌われています。刈っても刈ってもすぐに生えてきますから、常にいっぱい咲いています(笑)。

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 中干しシーズン到来ということで溝切りを始める。これは5月3日に植えたミルキークイーン。

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 遠目にはイマイチに見えたけれど、やはり水はけが悪いところなどは立派に育っている。田んぼの中に入っていくと色々なことが見えるのですが、こうやって田んぼの中を歩いて稲を眺めるなんてのも溝切りの時ぐらいです。

朝方雨が降り、ええい、休んでしまえ

 8時過ぎに目を覚まして携帯を見るとウェザーニュースからのゲリラ雷雨メールが届いていた。このメールは急激な雨雲の発達時に届くのだが、これは良く当たる。西の空を見ると確かに暗く、急に冷たい風も吹いてきた。すでに大量に干されていた洗濯物を軒下に取り込むと雨が降り出した。良く当たるメールだなと感心するものの、真っ暗な空を見れば誰でもわかる。誰でもわかるけれど、ここでメールが来るか来ないかの差は大きい。風上の窓はとりあえず閉めておこうと思える。僕の携帯はリアルタイムの雨レーダーを見るためだけにあるようなものだ(笑)。
 
 遅い朝食を食べていると父が「雨降りだし休めば」と言うので、そう言われればそうだ、休もう。ということで子連れの聖地の亀田アピタまで買い物に出かける。帰宅したらもう夕方。息子をお風呂に入れたあとで娘とお風呂に入る。なんとも休日らしい休日。雨は午前中で上がっていたのですが。

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 昨日ブックオフオンラインから届いたガーネットクロウのカップリングベストを聴く。どれもこれも素晴らしい。

午後から雨が降り、子を思うこと

 この頃、長い長い20代の頃をよく思う。どこにでも留まれたのにどこにも留まることなく、無為に費やした日々。その何も実を結ぶことのなかった日々であったが、本当は長い長い時間をかけて根を張り続けていたのではないか。出会いと別れの数を数えて眠れなくなるようなことはもうないけれど、若さゆえに交わされた無防備な会話を思い出すだけで急に恥ずかしくなることがある。ふいに、田んぼの真ん中で。結果的にすべて失われてはいるけれど、それゆえに失うものなど何もなかったのだということにも気づいた。あの頃に繰り返された迷いは今の自分を強くしただろうか。優しくしただろうか。

 娘と息子にも大いに悩み迷ってほしいと思う。子供たち自身にとって本当に気づくべきことを僕は教えることはないだろう。それが悲しいことなのかどうなのかは僕にはわからないけれど、子供は家庭から受けた教育を自身で解体して、再構築していかなければならないのだ。子は親を選んで生まれるようなことはない。生物としての命は偶然の事象に過ぎないが、しかしそれは存在に対する類い稀な1度きりの挑戦の機会でもある。

 46億年分の一瞬でしかないが、それは本当に言葉では言い表せないほど感動的な一瞬だ。僕の子供たちはそのことに気づけるだろうか。ただの一度でもそのことの意味に気づけたのなら、それはもう十分に幸せなことだ。それは僕が教えることではないが、そのような感性で子供と会話する時、僕は僕自身をひどく幸福だと思う。

 娘が庭の木を見て「葉っぱがきれいだね」というので「どういう風にきれいなの」と聞いてみた。すると娘は「ほら、葉っぱと葉っぱの真ん中、輝いているところ」と答えた。もしかすると、忘れたのは大人の方で、子供の方がそのような感性で世界を捉えているのかもしれない。子供から教わる以上のことを子供に与えるというのは難しいことだと思った。同時に僕の迷える20代はもうすでに昇華されているのだと思った。

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 本格的な中干しを前に、軽く田面の水分を飛ばしてから水を入れ替える。

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 午後から雨が降る。自分の車のエンジンオイルの交換やらなんやらのためにディーラーへ行く。夕方には雨が止んだので、集落内にある婆さんの畑と隣にある田んぼの草を刈る。






 

 

水回りと草刈りと

 開き直りの境地に達してはいますが、やっぱりさっぱり起きれません(笑)。

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 父が田んぼの半分を見てくれたので時間にゆとりができる。落ち着いて草を刈ったり、田んぼの中をのぞき込んでどのような雑草が生えてきているか観察したり、弱っている畦畔を足で踏んづけたり、そういうことができるというのは仕事をしていてとても気持ちが良い。

水回りと草刈りと、仕方なしに除草剤を振ること

 朝方の体調が優れない。5時のアラームで目を覚ますのだが起き上がれない。気づけば8時。4月、5月と機械ばっかり乗っていたから自律神経乱れたかなと思うのですが、農家にとって『体調不良』などという言い訳は存在しないので、ただの『気合不足』ということにしております。現代的貧弱男子にはたまらんぜよ(笑)。

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 もはや夕方まで写真を取る余裕もなく。とある田んぼにはヒエが残り、とある田んぼにはホタルイが毎年のごとく激烈発生しているので仕方なく除草剤に頼る。相変わらずというか、刈払機の後の動力散布機が体にこたえる。それから水を止めて回るのだが、どこかに止め忘れがあるような気がして仕方がない。しかしだ、この見かけの疲労感は連日の太陽のせいかもしれない。
 
 カミュはこう言った。「労働なくしては、人生はことごとく腐ってしまう」と。

 僕は疲れた時にいつも思うのですが、奴隷の強制労働とはいかなるものだったのだろうと。僕は当然ながら自らの有益性のために仕事をしているわけですが、上のカミュでいうところの『シジフォスの神話』的な無益な労働に人は耐えうるものだろうかと。

 神々がシジフォスに課した刑罰は、休みなく岩をころがして、ある山の頂まで運びあげるというものだったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつもころがり落ちてし まうのであった。無益で希望のない労働ほど怖しい懲罰はないと神々が考えたのは、確かにいくらかはもっともなことであった。
                                 アルベール・カミュ 『シジフォスの神話』



 何だか元気になってきたぞ。(笑)

 

 



草を刈ること

 うーん、起き上がれない。携帯のアラームを止めたこともあまり覚えていない。奥さまが夕方に皆で公園に行こうと誘ってくれたので、そのつもりで16時まで色々と。そういうときの段取りは我ながら頼もしいもので、乾いている田んぼを見つつも「明日、明日!」とつぶやいてスルーします。実際は明日でいいんです。この時期なんて3日に1日休んでもよいくらいなんですから。

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 気分は夏ですね。

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 のどかさは非効率ということ。非効率でいいじゃないか。

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 草の1本も生えないほど濃い除草剤を振ってしまえば草刈りをしなくて済むのですが、そんな真っ赤な畦畔を歩いていても面白くない。草のない畦畔をひと回りするというのは本当に面白くない。もう高齢で刈払機を持てないなら仕方がないですが、伸びた草を『みっともない』と形容するのはどうなのだろう。そんなにいちどきに刈れませんってば。(笑)

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 この気力で部屋の掃除ができないものだろうか。

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 川をせき止めて水を入れるという弥生時代から変わらぬ風景。

水回りと草刈りと草の匂いをかぐこと

 起きれない。昨日に続き今日もさっぱり起きれない。7時半に起きる農家がどこにいる(笑)。午前中は水をかけ回り、午後は水を止め回り、それから草を刈る・・・、というのでは時間が足りない。やはり早朝に水をかけ回り、午前中に止め回り、午後は有意義に時間を使いたいのですが、なかなか・・・。

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 田んぼをのぞき込むと色々な虫がいる。それはまるで海のような、宇宙のような、ただの田んぼでしかないような。命ただ一つとして自ら生きているものはおらず、生かされているものばかり。

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 田んぼの草を刈った後、17時から家の裏の続きを刈る。気力だけで刈払機を振り回しているので刈跡が雑ですね・・・。今年の夏はホタルが現れるだろうか。草刈り跡を散らかすように田渡り風が吹いてくる。たちこめる緑の匂い。時代から取り残されたような空気の中、心の健康を保つことの難しさを思う。自然体の『自然』とは何か。泥だらけの手を川の水で洗えば、僕自身これでもまだ虚飾が多いことに気づく。

水回りと草刈りと

 昨日の草刈りがたたって9時近くまで寝てしまった。いや、日曜日という雰囲気にのまれただけかもしれない。

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 午前中は田んぼをひと回りして水をかけ、午後は水を止めて回る。それから草刈り。日曜の午後に他集落をウロウロして騒ぎたくないので、家の裏の草刈りに没頭する。

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 明日は起きれるだろうか。

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 鉄塔を真下から見上げてみる。

早朝の除草剤の散布と草刈りと

 【夫婦別姓訴訟、原告側請求を棄却 「別姓は憲法上保障されているとはいえない」東京地裁】(5/29 産経ニュース)

 社会維持のためのやむを得ない決まりというものがあって、それは当然ながら突き詰めれば不条理なものなのだ。しかし、不条理なのはよしとして、ではいったい何が理にかなっているか。そんなものあるか(笑)。夫婦が同姓だろうが別姓だろうが、きっとどっちでもよいのだ。はたして本当にそこに人権だのアイデンティティだのがあるだろうか。受け入れがたいものを受け入れ、失いたくないものを失ってからが本当の意味での『自己』うんぬんだと思うので、僕もまだ『自己』など知らない。別姓推進派の主張は悪い意味での個人主義の極みであって、ましてや姓を変えたくないなどというのは往生際の悪い自己愛だと思う。ただの『ややこしい生き方』の1つじゃないか。そんなに崇高な命題ではないと僕は思うのだ。

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 早朝、除草剤を投げ入れる。

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 水回りの合間に草を刈る。午後はほとんど草を刈る。

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 田渡る風の涼しきこと。流れる水の濁りなきこと。
 

 
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