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稲作専業農家の素敵な日々

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予防薬とコシヒカリ最後の穂肥を振ること

 左下に台風があるせいか、ムシムシと暑い。

 午前中は昨夜から水をかけておいた田んぼを見に行き、それから予防薬の粒剤を振り入れる。とにかく水がチョロチョロとしか出ないので、その水で大きな田んぼに3センチも水を入れるのは時間がかかり過ぎる。あっちもこっちもと移動しているだけで作業時間が減るのだが、この時期に早朝からはやりたくないという(笑)。
 5時起きは田植えと稲刈り時期の計3か月だけ。毎日4時半から19時まで働けばもっと何とかなるだろうなぁ・・・と思うことはあるのだが、それでやっと間に合う仕事というのは長期的に見て問題があるはずだ。朝から機械を動かさないと本当に間に合わない田植えは仕方ないとして、秋の早朝籾摺りは作業場の問題なので、籾摺りはフレコン出荷にすれば労働時間を減らせるだろう。しかし、処理能力があがれば仕事量を増やしてもっと稼ごうと思うわけだから、いやはや、どうしたものか。
 今は父と2人でかなりの面積を草刈りして、畦畔除草剤も慣行栽培の早稲にしか使っていないのだけど、これを全部除草剤対応にすれば管理が楽になるという発想では、自然を見つめ自然から学ぶ農業者になれない。
 いや、本当に過渡期ですな。

 暑すぎるので午後は15時まで休憩。それから残っていた穂肥を振りに行く。自家消費・お客様販売用の田んぼなのだが、これは5月20日前後の遅植えなので巷での研究通りに出穂・登熟期の高温障害をそれなりには避けられているようだ。今年は1回目と2回目の穂肥のどちらも有機100%なので、科学肥料節減率でいえば7割減程度だろうか。

 慣行は化学由来窒素6キロ(10アール当たり)のところ、ウチは初期生育確保のための田植え機側条ペーストで1.8キロ入れているので、やはり7割減か。

 農薬は慣行で最大17成分のところ、特別栽培の限度は5割なので8成分。ウチは初中期一発の除草剤で2成分、今の時期の予防薬でやむを得ず3成分の計5成分。これでも慣行の7割減なのだから、『安心・安全』をうたうには十分なわけだ。

 1.85ミリ基準の玄米の選別網も1.9ミリを使用し、未熟な玄米は少しでも取り除くようにしているので、あとは売り方だ(笑)。手間に合わずに米価は下がるばかりなら、合理的大量生産という数で勝負するか、高品質・高付加価値で勝負するか。まぁ、前者をベースにしつつ後者を取り入れていくということになるわけですけど、そもそも僕自身が朝食にパンを食べるようではダメだ(笑)。

 

 

 
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穂肥を振ることなど

 ムシムシと暑いが外に出れないほどの暑さではない。来月6日頃は台風接近に伴うフェーン現象がありそうなので、その頃に穂が出揃う早稲はたっぷり水を入れないとマズイんじゃないかな、という嫌な予感。

 民家近くの田んぼの防除は湛水処理する粒剤を使っているのですが、こう暑いと(まだまだ普通ですが)、皆が水を使うのでサッパリ水がかからない。

 穂肥を振ったり、草刈りしたり。飲むものは飲んでいるとはいえ、こんなに汗をかいて大丈夫なのだろうか。

 奥さまが出ているので代わりに夕方のお迎えに行く。そのまま娘と遊びに出る。山の中にある放牧場に行ったのだが、放牧されている気配がない。牛がいないならどうしようもないし、その辺を散歩するにも熊が出てはたまらないので、加治川の取水口に寄る。
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 この川の水をここから街に流して田んぼの水に使うんだと説明する(笑)。それから公園へ。公園に行ったのだが、信じられないほどにゴミが投げられている。春に集落のゴミ拾いに出てからというもの、娘にはゴミ拾いのクセがついてしまっている。まさか「そのまま置いておけ」とは言えないので、公園に行くたびにゴミを持って帰ってくるのだが、今回は多すぎるので、一度車に戻ってビニール袋を持ってくる。あっという間に袋いっぱい。

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 帰宅してから水を止めて回る。誰かの休耕田にハスの花が咲いている。毎日一人で田んぼにいると、街ゆく美人とすれ違うこともない。だからということはないのだが、独り言と独り言のあいだの侘びしさからなのか、物言わぬものたちに心惹かれるようになる。

 夕飯にウナギが出る。平和な国で生活できるだけの仕事があるということ。有り難い。この先、農業者としての夢や希望や情熱というものが僕にも芽生えてくるのなら、それは本当に良い意味で未来に繋がるものでなければならないだろう。しかし、その手段が今はまだ分からない。さっぱり分からん。

穂肥と草刈りと

 28日 (月) 晴れ。

 前線通過直後の快晴。西寄りの風が涼しい。最高だ。涼しさに調子づいてコシヒカリ2回目の穂肥を連ちゃんで6町歩振る。1日でこれだけやるのは過去最高の無茶ぶりではないか・・・。しかも有機100%肥料なので1反当たり1袋強(窒素成分1.5㎏程)入れるので、少量強力な化成肥料の倍の労力がかかります。

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 1回目も有機100%なので、肥料の効きがあまりわからない。色(肥効が出ると葉の緑色が濃くなります)が出てこないような、じわーっと出ているような。この程度の効きなら2回目はしっかりいれても大丈夫だろうということで、1回目よりは多めに入れる。にしても、夕方までかけて70袋分も歩いたのでさすがに足が重い。

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 欠株になった隅の手植え補植をしないのでポッカリ空いているのですが、そういうところには草が生える。生えるけれど、少しくらい生えたっていいだろう。この「少しくらい」のどこがみっともないのか。

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 難防除雑草ではあるけれど、育つと美しい姿になるオモダカ(左)と、浮草(右)。


 疲れたので18時前にあがって、娘と山に探検に出る。

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 小一時間ひたすら山歩き。カエルを1匹だけ捕まえて虫かごに入れて持って帰る。読書家の娘は口が達者なので、相手をしていて飽きない。親としてではなく、一個人の人間として僕自身が娘の言葉から学ぶところも多いのではないか。僕もそれほど多くを知っていないのだ。大人というのは想像だけですべてを掌握したような態度を取れるものなのだ。少ない経験から、経験以上の仮説を立て、実証しないままで結論としてしまう。うーん、子供の相手は奥が深い。


 29日 (火) 晴れ。

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 水が来る日なので乾いて歩けるような田んぼには水を入れて、それから夕方までひたすら草刈り。昨日ほどではないが、それなりに涼しい。これこそ普通の夏といった感じ。夕方になると風が涼しくて、その涼しさに調子づいて(笑)草刈りに夢中になってしまう。気づくと18時も過ぎていて、いやいや、あちこち水を止めて帰らなくてはならないのを忘れていたわいと。町内の端から端まで走り回って、帰宅が20時過ぎてしまう。途中で奥さまから電話まで来る始末。明日は早くあがろう。

消防など

 26日 (土) 猛暑

 久々に5時起きで予防に出る。今年は動力噴霧器を買ったので試運転がてら。

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 2反区画までの田んぼはこれで、形の悪い大きな田んぼは農協のラジコンヘリにお願いして、民家周りは粒剤で、大きな四角田んぼは粉剤で。いやいや、これは楽ですね。これをやってしまうともう粉剤なんて使えないのではないかというくらい快適。薬剤の濃度も散布量も調整しやすい。もっとも「予防」なので希釈倍率は基準内で最高に薄くして(1000倍)、使用量も少ないくらい。

 午前中は消防。消火栓用のホースの箱を取り換える。暑い。何もしなくても暑い。倒れそうだ。終わってから時間が微妙なので集落内の田んぼの草刈りをする。凄い暑さだ。小一時間もやると大量の汗と日差しで寒気がしてきた。やばい(笑)。熱中症の初期症状はこれかと。ちょうどよいところで昼間になったので、家に戻り裏口で頭から水を浴び、それから水のシャワーを浴びる。いやいや、危なかった。

 猛暑の屋外実演で外に出る気がなくなったので、午後は娘の体操教室に行くことに。帰ってきてから昼寝。夕方から消防の飲み会。日付が変わる前に帰宅。


 27日 (日)

 昨日しこたま飲んだので動けず起きれずやる気出ず。自分は本質的にダメ人間なのではないだろうかというこの罪悪感、たまらないぜ。昼近くまで寝て、昼からも寝る。このまま時を費やすのもさすがにどうかと思うので、夕方から家族で公園に出かける。家族で散歩をするというのは最高の贅沢ですなぁ。

展示会に行くこと

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 台風崩れの温帯低気圧と太平洋高気圧の絶妙なコンビネーションで暑い。といっても今日のところ新潟は30℃止まり。低気圧が近づく明日の方が暑そうだ。

 コシヒカリの1回目の穂肥を10日前に入れた田んぼがトポトポに柔らかいので、この暑さがチャンスと思い昨日の夕方に落水しておいたのだが、少しでも田面が締まるだろうか。明後日は雨、その後も曇りベースの天気が続きそうなので、油断していると今年も悲惨なことになるか。ならないか。今年はここまでのところ葉色も淡いし草丈も短めなので1回目を普通に入れているが、有機100%肥料なのでいつ肥効がでてくるのかさっぱり読めない。8月も雨が多そうだし。

 で、今日は農機具展示会に行く。ハーフクローラーのトラクターの室内をじっくり見て、メーカーの方にも質問しまくる。三菱の内装や機能はやっぱりイマイチなのだ(笑)。あとは実演機で乗ってみないとわからないが、副変速と主変速の組み合わせを作業中にいじらなくてよいギア比なのかどうか。ターンするときにクラッチを踏んで副変速をガチャガチャして速度を落とさなくてはならない微妙なギア比はストレスなのです。コンバインや田植え機は馬力さえあれば何でも良いけれど、トラクターだけは納得の機能があるものが欲しいなぁ。

間が空いてしまったこと

 色々と疲れ気味で作文する気分になれずでした。やれやれ。観念というものはほとんど無力で、人生も中盤に入ると行動と結果が全てでございますな。僕はそうは思わないんだけど、業界的にもお年寄りの言い分を黙って聞かなければならないことが多いので、もう何だか。


 まぁ、昨日は県の農業士会の集まりで若者と長時間過ごしたのでスッキリしましたが。本当にスッキリしたので、根は単純なんだなぁと(笑)。


 海の日連休は奥さまの妹家族が東京からやってこられたので、皆で海に出かけました。車で20分も走れば海もあるし、スキー場もあるんだから、内陸山間部育ちの僕にはこの便利さが未だにカルチャーショックというか、新鮮というか、もう海なんて異世界ですよ。水平線や、ただ寄せては返す波を見ていると、世界は本当にまだまだ未知数なのではないかという気分になってきて、この閉鎖的な日常の因習にとらわれてしまった自分に何かしらのショックを与えていくわけです。視覚と聴覚だけの非生産的な啓示ではありますが、幻なんだろうなぁ。


 あとは動力散布機と草刈り機をブンブンさせてばかり。娘を保育園に送りもした。僕にも一人前に妻と子供があることをありがたく思います。


 高校生の頃からですが、こういうフラストレーション全開の時はガンズ・アンド・ローゼズの『ユーズ・ユア・イリュージョンⅠ&Ⅱ』を聴きたくなります。

 

 世界ではマレーシア機の撃墜事件と台湾機の事故とアルジェリア機の消息不明と、飛行機事故が相次ぎ、中国の期限切れ肉騒ぎがあり、世間では岡山の女児監禁など。青森の女子高生がLINEを巡る問題で自殺したという話も痛ましい。

 痛ましいことばかりの世界で子供たちに『希望』を教育するというのはどういうことか。そもそも希望が必要だろうかという話にもなってしまうが、僕はやっぱり純粋かつ単純な発想で希望があったほうがよいと思うので、子供にはどうにかして明日を楽しみにする気持ちを抱かせたい。そう思えば思うほど、むやみに娘を怒ってばかりいた日々を反省してしまう。命の尊厳というものを軽んじるような発言や行動には厳しく怒るが、別に他はいいだろうと。夜に叫ぶなとか色々あるけれど、何にもない田舎なんだから思いっきり叫べと。

 ちなみに「叱る」ではなく、「怒る」。僕は一般常識を叱りながら教育したいのではなく(そんなことは保育園で身に付くだろう)、他者に対する極度にデリカシーのない態度が気に食わないので怒るだけ。(笑)

 大人は抑圧と解放のさじ加減でストレスと戦ってるが、子供にはそんなコントロールできないでしょう。ましてや今の子供は常にデジタルな疲労を抱えていて、それはもう僕たちの育った時の子供の感覚と同じであるはずもない。少子化で大人ばかりに囲まれ、液晶画面の光たちのような意味不明なストレスにさらされながら、それでも戦前教育のような作法を子供にもしつけようとするのは限界があるのではないか。大体、子どもの見本となるような立派な大人なんてそんなにいない。

 自分が未だにできていないことを子供にしつけようとする自分の愚かさに気付いた時、僕はもう自分にガッカリしてしまい、さらには「あの頃の僕らが嘲笑って軽蔑した空っぽの大人に気づけばなっていたよ」と中谷美紀の『砂の果実』の歌詞が頭の中で鳴り響く始末。

 いやはや。日々勉強で反省は毎日。明日があることの喜びよ。


 で、ガンズ。『Ⅰ』の終曲の最後の句。

 「そして、人はとりあえず生き延びていかないとならないものだとわかるはず」

 スカッとするぜ。


 


 
 

寝込むこと、集まりのこと、二日酔いになること

 11日 (金)

 咳もゲホゲホ、熱もでる。一日ゴロゴロして、夕方に娘を迎えに行く。娘もお昼寝のあとから熱があるとのこと。いやはや。


 12日 (土)

 調子が悪い。熱は37度5分くらいまでしか上がらないのだが、とにかくだるい。昼まで寝て、午後からも寝る。夜も早く寝る。といっても夜はなかなか寝付けない。そりゃそうだ。(笑)


 13日 (日)

 終日農家組合行事。朝は農道畦畔カメムシ防除なので4時半に起きる。5時開始。熱もあるのだが、軽トラの荷台に乗って動力散布機を吹くだけなので気力で何とか。午前中は用水路の草刈り。途中から雨が本降りになってずぶ濡れ。これはこたえるぜ。頭がぼーっとしてくる。午後は集落センターで稲作指導会と、それから懇親会。いっぱい飲む。
 来年は父と役員をバトンタッチするので、来年の役員の方々に連れられて二次会に出る。いっぱい飲む(笑)。父の友人たちばかりなのだが、そういう世界なわけです。60歳~70歳が標準というか、現役というか、なので若い僕はめいっぱい可愛がってもらっているので、最後までお付き合いしないわけにはいきませぬ。で、最後に解散してから父の一番の友人の方の家にお邪魔して、二人で三次会。ちょこっと飲む。
 うーん、帰ってきたのは覚えているのだが、明け方に起きたら寝室ではなくパソコン部屋にいるではないか。どういうことかサッパリ覚えていない。シャワーは浴びたのだろうか。それから明るくなるまで吐き続ける。毎回毎回のこのツラさたまりませんなぁ。(笑)
 しかし、ご年配の方々は本当は自分の子供たちに一番話したいんだろうなぁと思うわけです。田んぼのことね。でも、誰も、どこの家も跡取りなんていないから、田んぼのことや昔の苦労を僕に一生懸命話して下さる。たぶん、実の子どもだったら嫌になるほど。だから誰も田んぼをやらないんだろう。街に出ていくのだろう。田んぼってそういうものなんですね。怨念の塊なんです。僕はまぁ死ぬまで田んぼをやりますが、そんな怨念を真に受けてたらたぶん頭がおかしくなってしまうので、どこかで割り切らなくてはいけない。有り難い話はあくまで教科書として聴き入れつつ聞き流しつつ、僕自身が怨念の化身にならないように生きていかなくてはと、酔いが覚めては誓うのであります。


 14日 (月)

 ということで二日酔い。朝もパン一枚しか食べれない。お昼にうどんを食べるとどうにもスッキリしない。小一時間横になって、それから穂肥を振りに出る。数日もなまけてしまったので動力散布機を背負うと背中の筋がつりそうになる。何だかんだ言っても一次産業は体力勝負であることを実感。

雨が降ったり止んだり

 弱い雨が降ったり止んだり。

 昨夜『カナリア』を観る。観たことがあるようなないようなと思いながら借りたら前に観ていた。覚えていないのでもう1度観る。



 洗脳が解けた元信者が主人公の少年に「自分自身に押し潰されるな」というようなことを言うのですが、そのシーンが良かった。懐疑の根拠というか、自分は間違っていたということを説明するこのシーンだけのための映画なのではないか。
 洗脳というのは自ら望んで学んだ行為の結果でもあるので、どっちがどうという問題ではない。与え手と受け手がシンクロしてしまえば、それはもう真理なのではないか。増幅した観念が見せる幻という部分では恋愛などと同じだろう。宗教者との口論というのは幼い日の僕にも経験があるので、正直このテの話は未だにどうしたらよいかわからない。「行き場のない良心が行きつく先」というのは永遠のテーマですね。

 で、この映画、もちろん某カルトが元ネタになっているのですが、それの何をテーマとして2時間に凝縮させたのかがよくわからない。僕は何らかの「救い」を描いた映画を観るたびに思うのですが、聖母のようなヒロインに「個人」が救われる物語は物語としてどうなのだろうと。(ナウシカは文字通り「世界」を救っていますが。)
 この『カナリア』にしても幼き谷村美月が演じるユキがナウシカ並みの強い眼差しなのだ。中2とは思えない確信に満ちた愛と勇気と優しさ。こんなヒロインが登場しては、それはまた別の形で宗教的な意味を持ってしまうだろう。だから、人は何も「世界」に絶望して逃避(カルトでも自殺でも欲望でも何でも)するわけではなく、ただただ「関係」の中でだけ絶望してしまったのではないかと。自分が愛に飢えて歪んでいくことは「こんな世界」の問題ではない。それは世界が世界として続いてきた46億年の法則ではないだろう。まぁ、親子関係、友人関係の問題が「世界」の問題として飛躍してしまうのは自意識ばかりが進化する人間の行く先なのかもしれないが。僕にしても。誰にしても。


 雨なので午前中は『スーサイド・ショップ』というフランスのアニメ映画を観る。



 面白かった。陰気な自殺道具屋に生まれた3番目の末っ子がどういうわけか明るく育つ。その子供に振り回されているうちに、父も母も兄も姉も生きる意味を取り戻していくというような話。半分以上のセリフが感動的な歌詞で歌われるミュージカル調なので、音楽としても楽しい。しかしこのブラックユーモアは西洋ならではというか、実存哲学のフランスならではというか、決して神様を登場させないのだ。家族のようなごく個人的な「愛」に希望を見い出す最後は期待を裏切らないだけに気持ちがいい。辿り着くべき結論はこれしかないのだという明確なオチが、観念の迷路をスパッと切り裂いていく。


 午後は田んぼの水を落として回る。それから保育園に娘を迎えに行き、奥さまの焼いたマドレーヌをみんなで食べる。

 目は落ち着いたのだが、我が家の流行り病の最終症状の咳が出始める。

 
  

 

大雨になること

 予報通りの雨。台風に押し上げられた前線による雨なので大雨になる。

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 こうなると新潟県の大雨の王道パターンで、問題はどの地域に降るかという事なのだが、三条地域は毎回のことながら、今回は久々に佐渡から下越方面にも雨雲が集中し大雨になる。
 大雨なのだが、こういうときにしか用事を足せないので奥さまと新潟市まで買い物に出る。昼前まで新発田では大雨だったようだが、新潟方面はピークを過ぎたようでそんなに降らなかった。

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 ウチがお借りしている田んぼの脇の道路が崩れたというので様子を見に行く。草刈りしている時に崩れていたらと思うと・・・。

 夕方から消防。川の水位も下がっているようなので20時にとりあえず解散。

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 今回は半日の雨とはいえなかなかの増水っぷり。明日はやや小康状態になる予報だけど、明後日には台風本体の雨雲がかかる予報なのでどうなることやら。

 

台風が近づき、日々はサーカスではないだろうと思うこと

 6日 (日)

 ツタヤに返却&レンタル。それから水回り。午後は娘を連れて再度ツタヤへ。帰りにソフトクリームを食べて帰宅。水を止めて回り、夕方は父が友人と飲みに行くというので、その送迎。

 『スターティング・オーバー』を観る。これがまたすべての愚かな男子諸君と言わんばかりの映画なのだ。



 女の子には恋と愛の境界など存在しないのではないかと、愚かな僕は思うのだ。何が愚かなのかといえば、この映画のこの男。この男のどうしようもなさこそが男であるというどうしようもない愚かさ。また優しいんだ、この彼女がとにかく優しい。マザー・マリアじゃないかってくらいの女神さま。でも、この男は最後に気付く。それがまた泣ける。この彼女に感情移入してしまって泣けるのだ。どうしたって別れた方が良い2人なのだが、この2人は別れなかった。誰だってそうだ。ここで別れた人と、ここで別れなかった人がいるのだ。その選択は未来をまったく違うものに変える。その重みに目眩。

 お互い気の利いたことを言えずにいるもどかしい感じがたまらない。いや、彼女の方は言ってますね。何度も何度も気の利いたことを言っている。とにかく、この彼女を演じている女優さんの空気感だけでタジタジになります。とても魅力的な役でした。


 7日 (月)

 時々雨。午後からは強く降る。

 子供の診察予約をしてから眼科へ行く。帰宅してから部屋の掃除。午後はホームセンターで棚を買って、それから部屋の片づけ。


 8日 (火)

 晴れ。台風の影響で暑い。父と手分けして早稲の穂肥を振り始める。この暑さの中で背中に30キロの荷物を背負うのは過酷というか、いい運動というか。とにかく暑い。

 ラジオから中谷美紀の『マインド・サーカス』が流れる。「偽りだらけのこの世界」という歌詞に時代を感じてしまう。僕の実存的感覚(どんな?)から言えば、日々はリアルとファンタジーのブレンドみたいなものなので、決して偽り「だらけ」ということはなかろうと思うのですが、まぁ、すべてが偽りに感じる時期ってのはあります。僕もありました。

 でも、世界ではない。偽りなのは世界ではない。当たり前だけど何事もそれを捉える自分の心の問題なのだ。だけど、それが自分の心の問題だと気づくまでの長い間、確かに世界は偽りだったのだ。

 宮崎駿監督が「世界は生きるに値するものだと子供たちに伝えたい」というようなことをおっしゃっていたようですが、僕は素晴らしい言葉だと思うのです。誰でも言っているテーマではありますが、「世界を体感する」というこの奇跡感は、もうそれだけで生まれてきて生きていく価値があるのではないかと。僕は幸せなことに両目が見えるので、この目の前に広がる三次元の空間を目で捉えながら漂える幸福感というか、そういうものを感じることがあります。僕の毎日などダラダラ・グダグダなのですが、確かに世界は生きるに値すると、寝坊した日でさえ思うのです。開き直りです、はい。

 午後は草刈りし、それから明日の大雨に備えて排水の高さなど調節して回る。

 22時過ぎから雷雨。


眼科に行ったことなど

 3日 (木)

 午前中は眼科へ。結膜炎のようで目薬を処方してもらう。午後は草刈りやら。


 4日 (金)

 草刈りやら色々。


 『マイ・バック・ペイジ』を観たが面白くないので途中で断念。にしても、面白くないなんてことは絶対にないのだから、今の僕に合わないんですわな、きっと。狭い世界の政治的なものにはどうにも興味を持てずにいる。

 目はピークを過ぎている風でほとんど違和感なし。

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 フェーン気味で暑い日。かなり草を刈る。まだ田面が柔らかい田んぼが多いのだが、こうも暑いとやはり水を入れてあげたくなる。こういう日にこそ落水して地固めしておいた方が作業的には間違いないのだが、やはり生育的には水があった方がいい。そして乾かなくて秋に泣く(笑)。

 それにしても鋭く伸びた葉先の美しいこと。


 5日 (土)

 水回りする。

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 深水湛水のクサネム(左2本)と畦畔のクサネム(右2本)。

 1枚1町3反の大区画田に毎年クサネムが何百本も生えてしまうのだが、今年はクサネム防除だけを目的とした深水でかなり発芽抑制できている様子。福島県の研究によると6月下旬までに出芽したクサネムの実は1.9ミリの選別網を抜けてしまうものがあるとのこと。それでも湛水状態で育ったクサネムは種が軽くなる傾向があるという。

 こういうクサネムだらけの田んぼで間断灌水なんてしていると、あっという間にクサネム畑になってしまう。というわけで、今年は中干し後から15センチの深水状態を10日以上継続中。で、改めて田んぼの中を歩き回ると、ほとんどができている様子。発芽したばかりのクサネムは水の底で腐りかけているし、水面まで葉先を伸ばしたクサネムも徒長軟弱化している。(写真左)

 問題はいつまで長期湛水しておくかということ。地浅の乾田なので稲の根が腐るということもなさそうなので、気温が異常に上がるようだったら雨の日にでも落水して水を入れ替えるだけでよいと思うのだが。


 『種まく旅人~みのりの茶~』を観る。とても良かった。田中麗奈がとても可愛かった。農家が観ても共感できる物語でした。



 
 

追肥と草刈りとリフトの研修会と

 7月1日 (火)

 7月になってしまった。ラジオのDJが下半期が下半身に見えるといっていた。今年も残り半分。

 午前中ににわか雨が降ってきて、一気に土砂降りに。家に避難し、雨が止んだと思って出かけると出かけた途端にまた土砂降り。どうにもならん。午後から追肥やら草刈りやら。草刈りをするのだが、目ヤニが止まらなくて視界が悪い。僕も父も目が何かにやられてしまって腫れぼったい。目薬を差したら目ヤニは止まるも、とにかく目が霞む。


 昨夜は『すーちゃん まいちゃん さわこさん』を観る。とても面白かった。人生に対する肯定感が残る作品。もしかすると現実的に見出される希望というのもファンタジーに近いのかもしれない。不安だらけで不確かな未来に夢を持つこと、微かでも期待を抱くこと、それはもうこんな時代だからこそほとんどファンタジーに近い。それでも生きていかなくてはならないという気高さが、生活感あふれる映像の裏側で淡い青春映画のように輝いている。閉じられた日常にも世界へと開かれた道がある。あるのではないか。良い映画だと思う。何度でも観たい。所々笑えるのもいい。

 娘が熱を出す。息子もゲホゲホし始める。


 2日 (水)

 昨夜はとても目を開けていられないので7時に寝る。1時に目が覚める。何とか2度寝し、5時に起きて、5時半に迎えが来る。索道の講習のため南魚沼まで行くのだ。社員メインの講習会に僕もオマケで連れてってもらえるのだからありがたい。まぁ、午後はイスに座りながら頭がカクンカクンしていたのですが。

 これがまた会場は前に住込みアルバイトをしたスキー場のホテルだったので、当時お世話になった社員の方に受付で久しぶりに会ったのだ。おかげで色々とフラッシュバック。当時僕は次に行くところがなかったし、奥さまと知り合ったのもここだし。と、そんな多感な季節のひとつひとつが、今ではもう夢のよう。しかし、そんな気分をかみしめる余裕がないほど目が霞む。

 帰宅すると、子供たち2人とも具合が悪そうだ。父の目も赤い。


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