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A NET ~あねっと~

稲作専業農家の素敵な日々

息子の退院と雨の日の出来事

 15日(金)

 終日雨が降る。病院に行ってくれていた父と母がちょっと忙しいので、僕が本来の務めを果たすべくスキー場の仕事を休ませてもらう。午前中は掃除をして夕飯の買い物に出てお昼を作る。午後は病院に行って息子の見張り役を交代する。奥さまは付き添いなので食事が出ないのです。奥さまが家に戻っている間、息子はぐっすり眠っていてくれたので、持参した『カラマーゾフの兄弟』を読む。夜は娘を寝かせるのが先なので女子バレーを途中で我慢する(笑)。で、一緒に寝てしまう。

 16日(土)

 爽やかな秋晴れ。午前中に娘の保育園入園の面接があったので、その時間の付き添いを代わるために朝から病院へ行く。昨日の時点で、明日まで何でもなければ退院ということだったので、お昼に奥さまが戻ってきてから無事に何事もなく退院する。この3日間気丈に頑張った娘が1番嬉しそうだ。子にとって母はほとんど全世界のすべてなのかもしれない。息子は重症化する前に回復したようなので、今夜普通にお風呂に入る。とても気持ちがよさそうだ。

 昨日、宗教家の方が挨拶に来た。たまたま僕が玄関先まで出たのだが、それは若い女性で背中には赤ちゃんをおんぶしている。勧誘というわけでもなく、「皆様お変わりないですか?困ったことがあったらいつでもどうぞ」と、本当に挨拶だけなのだ。僕は「ご苦労さま。お気をつけて」と筋の通らない返答しかできなかった。だって、外は雨が降っているのだ。その方は力の抜けた笑顔を見せたあと、僕に背を向け、傘をさして歩いていった。僕は背中の赤ちゃんが雨に打たれているのを見た。例えようのない物悲しさだった。きっと誰もが正しいのだ。僕が感じた悲しみは雨の日の宗教家の滑稽さにではなく、意地でも無神論を貫く僕自身の滑稽さに対してだったのかもしれない。あの人に心の拠り所があるように、僕にも心の拠り所があるのだ。その違いというものが今更ながらよく分からなくなった。


 
 廃墟と化した街の中、僕は強奪する者にならないだろうか。宗教も社会主義も資本主義も個人主義も敗北したというならば、それは一体何に対しての敗北なのか。僕にとってTPPは死活問題であるかもしれないが、それは混沌からの再構築とも呼べるのだ。国内の農産物が大打撃を食らったとしても、それによって利益を得る者も確かにあるのだ。僕は豊かな国の豊かな経済に支えられて生き延びてきたのだから、今度はそれが僕ではない誰かのものになったとして、どう反論すればよいというのだ。世界経済はますます資本的に弱肉強食主義になっていくだろう。政治は歴史の上で常に良い選択ばかりをしてきたわけではない。反逆も然り。

 日本には捨てるほどコメが余っていて、次の作付けでも余る見込みがあるのに、それを全量フィリピンに出したりはしない。それが政治なのだ。果てしなく困っている人がいると、人は自分を善良な人間だと思い込んでしまうが、本当にそうだろうか。僕はまだ善悪を区切り定める場所に立ったことなどない。
 
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